2023年夏のドラマ『VIVANT』
で大活躍だった阿部寛さん。
秋には『すべて忘れてしまうから』
で主役を務めています。
阿部寛さん、若い頃は典型的な二枚目
の役ばかり演じられていました。
それが中年になってからは
『下町ロケット』や『ドラゴン桜』で
渋い中年の役を見事に演じられていますね。
しかもただセリフを覚えて言っている
というよりも、難しい内容を
よく理解して話しているかのように
見えます。
そんな知的な雰囲気も漂わす
阿部寛さんも、
実は高学歴タレントなのでしょうか?
今回は、
阿部寛さんの学歴について
詳しくまとめていきます!
阿部寛の学歴は大卒!卒業した学部は理工学部だった!
阿部寛さんはやはり大卒でした。
中央大学理工学部電気工学科を
卒業されたということです。
あの身長(189cm)にルックスですから
中学か高校くらいの頃から
スカウトされて活躍していそうですが、
意外にも1年浪人して
中央大に行ったそうです。
理工学部電気工学科ということですから、
地道にエンジニアを志していたことが
うかがえますね。
阿部寛がデビューしたのは最終学歴の大学に進学してから!大学時代にモデルでデビュー!
阿部寛さん、モデルとして
芸能活動をスタートしました。
きっかけは大学2年の時、姉に勧められて
「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」
に応募し優勝しました。
応募したのは、
優勝賞品である車ほしさ
だったということです。
そして雑誌『ノンノ』『メンズノンノ』
のカリスマモデルとして活躍しました。
横浜出身の阿部寛さん、
あの身長とルックスなら、
十代の頃にスカウトされても
おかしくないですよね。
おかしくないというより、
近頃ならば、それが普通です。
しかし阿部寛さんは1964年生まれ。
まだそういう時代では
なかったのでしょう。
阿部寛の俳優デビューは最終学歴の大学卒業直後
モデルとして活躍した阿部寛さん、
芸能活動は順風満帆で、
大学卒業と同時に俳優デビューしました。
デビュー作は1987年の映画
『はいからさんが通る』。
阿部寛さんも大ファンだった
南野陽子さんと共演でき、
サインをもらったとも話しています。
最終学歴の大学卒業を控え、阿部寛は就活もしていた!
中央大学理工学部の学生で
『メンズノンノ』のモデルを
やっていた阿部寛さん、
普通に就活もしたそうです。
しかし既に有名になっていたため
「なぜ、きみのような人が?」
と言われたり、
「キミみたいな人がうちに来たら
女子社員が仕事しなくなっちゃうよ」
と言われたりしたそうです。
結局、就職はしないで
卒用と同時に俳優デビューしました。
高学歴の阿部寛だが、不遇の時代も!
就活は諦めたものの、
芸能活動の方はとんとん拍子に
俳優デビューしたかに見えました。
しかし下積みもないまま大抜擢され、
セリフは棒読みだったと本人も語っています。
しかもモデル出身という肩書きと顔立ちから、
ありきたりな二枚目の役しか与えられず、
次第にドラマの仕事が減っていきました。
とうとう、ほとんど仕事がなくなり、
テレビ番組『あの人は今!?』で
阿部寛さんが捜索対象にまでなってしまいした。
再ブレイクした阿部寛
干されたしまった阿部寛さん、
転換点となったのは1993年、
つかこうへい演出の舞台で
主役を務めたことです。
つかこうへいさんに
「お前を食える役者にしてやる」
と指導されました。
その後は色々な役に挑戦し、
脇役として一定の地位を確保しました。
そして中年の渋い役柄で、
主役も務めるようになり
再ブレイクを果たしました。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、阿部寛さんの学歴について
まとめてみました。
阿部寛さんは
中央大学理工学部電気工学科
の出身だとわかりました。
芸能界デビューは大学在学中、
モデルとしてスタート
したのですね。
そして就活もしたものの
有名になりすぎていたために
上手く行かず、
卒業と同時に役者として
映画に大抜擢されたのですね。
しかしその後は順調には行かず、
ほとんど仕事のない時期もありましたが、
転機となるきっかけがあり、
今の渋い熟年の役柄を
確立したのですね。
阿部寛さんについては、
今後も注目していこうと思います!
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